カテゴリー「映画・テレビ」の記事

2012年4月21日 (土曜日)

銀幕の灯 消さない オホーツク唯一のミニ映画館「シアターボイス」代表 伊藤文一さん(59)=北見市(2011.4.8北海道新聞朝刊)

 JR北見駅前の商業施設「まちきた大通ビル・パラボ」のミニ映画館「シアターボイス」が移転か閉館かの選択を迫られている。

 「北見市庁舎のパラボ移転に伴い、商業施設は地下1階〜地上3階に集約される予定です。6階にある映画館を別の階に移すには、客席や音響施設などを新設する必要があります。資金もなく、別階に移転は難しい。一方で市内で映画を定期的に上映できる場所、施設もなかなかない。なんとか移転先を見つけたいのですが」

 同映画館は、旧東急百貨店にあった「ホール109」を利用。同店営業部長だった伊藤さんがNPO法人を設立し、2006年3月に開館させた。

 「映画好きだったこともありますが、百貨店の集客策の一環として、NPOや映画館運営に携わりました。07年に北見の東急が閉店になり、一度札幌に異動となりましたが、配給会社との交渉など映画館とのかかわりを持ち続けました。街に映画館がないのはもったいないと思うようになったんです」

 NPOは解散し、現在、伊藤さんと映写技師のほか、ボランティア数人による運営。割引など特典のある会員は北見や釧路など600人を超える。

 「作品は、個々の配給会社と交渉しています。自分が面白そうだなと思った作品や基本的にシネコンでは上映しないような作品を選んでいます。これまでの上映作品では邦画のほうがお客さんの入りは多いですね。ミニシアターの役割だと思いますが、見る人の選択肢が広がるような作品も上映していきたい」

 来年春までは今の場所で営業できる見込みだが、その後は白紙状態。移転する場所が見つかっても資金面の課題が残る。

 「今あるフィルム映写機は老朽化しており、デジタル設備をそろえるにも1500万円以上かかる。移転へのハードルはとても高いですが、北見のミニシアターの灯を消したくない。受付にいると、お客さんからも続けてほしいと言われます。会員さんや映画愛好家の協力を得ながら、何とか存続の道を模索したいですね」

 [ 追 記 ]

 北見市の市庁舎移転計画では、パラボの6階はすべて市役所・議場スペースとなる。さまざまな都合があるのだろうが、同じフロアに映画館が併設される市役所って意外と斬新ではないか。役場と棟続きで町民ホールが併設されるケースはよくある。映画館も文化施設と考えれば悪くない気もするのだが。
 文・久才秀樹
写真・中本翔
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 いとう・ふみかず
 オホーツク管内遠軽町出身。中央大卒業後、75年、東急百貨店に入社。82年にきたみ東急百貨店に異動。2年前に同社を退職。09年12月のNPO法人解散後、個人でシアターボイスを運営する。

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2012年3月 6日 (火曜日)

ミニ映画館の灯 消さない 北見のシアターボイス 運営・伊藤さん、存続模索(2012.2.23北海道新聞朝刊)

 1年は維持 愛好家応援

 北見のまちきた大通りビル・パラボ6階にあるミニ映画館「シアターボイス」が、移転か閉館かの選択に迫られている。同館を運営する伊藤文一さん(59)は「見る人の選択肢を広げるためにも、どんな形でもミニシアターを残したい」と管内唯一のミニ映画館存続を模索している。
 パラボは、北見市の市庁舎移転計画に伴い、商業施設が地下1階から地上3階までに集約される予定になっている。ただ、6階にある映画館を別の階に移すには、映写機は移動できても、客席やスクリーン、音響施設などは新設が必要。パラボを運営する「まちきた北見」は「新たな設備を設けるのは難しい」といい、パラボ内での存続は厳しいのが現状だ。
 一方、同ビル以外への移転にも資金不足という難問を抱える。同映画館は2009年にNPO法人が解散し、現在は伊藤さんが個人的に経営。パラボの格安な賃料でも、入場料収入で何とかやりくりしているのが実情だ。市内に上映設備の整った施設は少ない上、今あるフィルム映写機も老朽化。デジタル設備を一式そろえるには1500万円以上かかるという。
 まちきた北見は「(市庁舎移転の)基本計画、実施設計がこれからなので、移転時期も未定だが、来年度末までは今の場所で営業してもらえると思う」と話している。
 また、映画愛好家からも存続を願う声が多く、北見の自主上映団体「懐かしの名画を観る会」前代表の吉田信司さん(52)は「特にシニア世代は、映画をみんなで見て感動を分かち合うという人が多い。幅広い作品を楽しめるミニ映画館は残してほしいし、協力していきたい」としている。(久才秀樹)
《写真:存続に揺れる北見市内唯一のミニ映画館「シアターボイス」》

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2012年1月17日 (火曜日)

故 佐藤泰志の作品 映画化第2弾「そこのみにて光輝く」函館の有志ら企画(2012.1.15 北海道新聞朝刊)

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 【函館】函館出身の作家佐藤泰志(1949〜90年)の小説「そこのみにて光輝く」が地元有志らの企画で映画化されることになった。佐藤作品の映画化は2010年公開の「海炭市叙景」に次いで2作目。来年の公開を目指す。監督の人選などは調整中だが、企画スタッフは「美しい夏の函館を舞台に佐藤泰志の世界を描きたい」と意気込んでいる。
 「そこのみにて—」は89年刊行の長編小説。函館がモデルの夏の港町を舞台に、青年たちの出会いや恋、波乱のある生活を硬質な文章で描く。昨年春、河出文庫で復刊された。
 映画化は、「海炭市叙景」の製作実行委員会メンバーらが発案した。海炭市叙景がキネマ旬報の日本映画ベストテンで9位に輝いたほか、観客動員5万人、興行収入6千万円の好成績を上げたことも後押しとなった。
 著作権を継承した遺族や、版元の河出書房新社も了承。現在、出資企業など製作の枠組みを最終調整中だが、今春をめどに監督や出演者を決定。早ければ今年7〜9月に函館でロケをする予定だ。
 前作の製作実行委員長で、今回はプロデューサーを務める菅原和博さん(函館)は「夏の函館が舞台の本作は、冬が舞台の海炭市叙景と対をなす作品。前作同様ふるさとの人たちの協力を得て完成させたい」と話している。
(写真:「そこのみにて光輝く」が映画化される佐藤泰志=1989年夏)

映画「海炭市叙景」公式サイト
http://www.kaitanshi.com/
そこのみにて光輝く (河出文庫) [文庫](Amazon.co.jp)
http://amzn.to/w0F3r4
佐藤泰志 作品一覧 (Amazon.co.jp)
http://amzn.to/ynhah7
佐藤泰志 (Wikipedia)
http://bit.ly/w28YBF

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2011年4月28日 (木曜日)

芥川賞にも三島賞にも縁がなかった作家・佐藤泰志を3冊揃える。

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「移動動物園」「海炭市叙景(かいたんしじょけい)」「そこのみにて光輝く」

 本の購入には一冊一冊想い出がある。
「移動動物園」は北見市のGEOで手に入れた。一見して見当たらなかったので、カウンターで伝票整理をしていた若い店員に尋ねたが、お兄ちゃんは自分の作業を中断されたせいか無愛想だった。それでも僕の要望した「現在入手可能な佐藤泰志の全著作」を検索端末で丁寧に調べてくれた。僕が知らなかったタイトルも発売されているようで、質問してみたが、そのたびに彼はデータを詳細に読み上げる。現在店にあるのは「移動動物園」だけのようだ。お兄ちゃんはするりカウンターを抜け出て売り場まで僕を案内すると、平積みになったいちばん上を手渡してくれた。立ち読みを逃れて痛みの少ない上から3番目をすくい取る悪い癖が僕にはあるが、一冊を売り上げるため時間を割いてくれた彼の好意がうれしかったので、渡されたそのままを持ってレジへ向う。外見で人は判断できないが、小説など読みそうにない若者が渡してくれた「移動動物園」。読み終えたあとも自室の書棚で背表紙を覗かせるだろう。
 実はその直前、別の書店をあたっていた。全国最大規模を謳う大型チェーン店で、今秋北見市の東側に本格店をオープン予定の、現在はTSUTAYA北見店の一角で営業するその店なら何でもあるだろうと当たりをつけていたのだ。売り場マネージャーの風格を持ったおじさんは、在庫データを調べることもなく「ウチはあいうえおで並んでいる」とひとこと呟き、『サ行』を一瞥しただけで「品切れ中」を宣言してしまった。ずいぶん諦めのはやいおじさんだ。ひとり残された僕は書架の隅から隅までもういちど丹念に目で追ったが、やはりない。仕方がないのでレンタルDVDの新入荷でもチェックして帰ろうと視線を落とした先に、平台の上で山積みとなった「海炭市叙景」をみつけた。だがこのタイトルなら持っている。市内の老舗・福村書店で手に入れていた。結局、全国有数の大型店と佐藤とは縁がなかったのだろう。
 Amazonを使えば自宅で手軽に購入できるが、消費税をとる同店にいささか否定的な僕は、佐藤のような作家だからこそ足を使って求めたい、つまらないこだわりがあった。
 GEOのお兄ちゃんが教えてくれた情報によると、もう一冊「そこのみにて光輝く」が残っている。先に巡った二店に無いことは分かっていたので、目指すは老舗だ。
『伝説の作家・佐藤泰志の《最新刊》』を手にして店を出たとき、冷え込みが戻ったまちに、陽が大きく傾いていた。

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 市内では上映が終わった映画『海炭市叙景』。その最終日、劇場の責任者にお願いして宣伝用のポスターを分けてもらった。さっそくパネルに収めて部屋に飾り、朝晩ながめている。
 今年の日本は前半から大きな変革の年となった。
 函館山に見下ろされて執筆に専念する。

「わたしたちは、あの場所に戻るのだ」

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佐藤泰志/ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/佐藤泰志
佐藤泰志/Amazon.co.jp
http://amzn.to/gWYefi
映画「海炭市叙景」公式サイト
http://www.kaitanshi.com/ 
映画『海炭市叙景』を観た。破滅と再生の物語。久しぶりにみるヘビー級の邦画だった。
http://purplecoelacanth.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-bd4a.html

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2011年3月 8日 (火曜日)

映画『海炭市叙景』を観た。破滅と再生の物語。久しぶりにみるヘビー級の邦画だった。

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 劇場で映画を観るのは数年ぶりだからよけいに新鮮だった。映画のクオリティは俳優の知名度で決まらないのではないか。製作費でも決まらないだろう。「映画」というからには(やはり)フィルムを使ってほしいが、「露光」「ロケーション」「演出」「編集」、この4つですべてが決まると断定するのは言い過ぎか。いいじゃん、素人なんだから。とにかく、同じカットをつなぎ変えただけで別の作品にすることだってできるのだから。
 
 北見市シアターボイス。パラボ6階。とても小さな映画館で、「金をかけたホームシアター」といった佇まい。すぐ隣で絵画のギャラリーが催されていたせいか、イスとテーブルを動かす音が漏れ聞こえたりして……ん? ということは、JBLのPAから流れるこちら側の音も向こうにダダ漏れ? でもいいんだよね。これがいいんだよ。田舎の映画館。公開四日目、10:30初回上映、観客は僕を含めて5人。カップルなし。池袋にあった文芸座より質素にして厳かだ。僕は映画に「サラウンド」や「3D」を求めておらず、そればかりかときに「カラー(色情報)」さえウットーしい僕なので、こういった空間のシートに体を埋めているとホッとする。特に上映直前の「暗転」がたまらない。たとえば学校の文化祭。出し物の大道具が壁に立て掛けられた体育館ウラの非日常空間性は暗闇に負う部分が大きい。その年僕たちは「演劇」でエントリーしていた。生まれて初めて書いた脚本は「カツオの逆襲」といって、思い出しただけで胃液が逆流しそうな酷い劇だった。壮絶な親子げんかの末に家を飛び出し、ある銀行を単独で襲撃したカツオが逃亡先で捜査機関に身柄を確保され、短冊状に切った大量の新聞紙を天井いっぱいにぶちまけて絶叫するシュールな演出に僕は得意の絶頂だったが、採光窓のカーテンが開かれ外光が射し込めば、汚い切り口の新聞紙が外れ馬券のように散らばったいつもの舞台の凡庸な姿があらわになり、大いに落胆したものだった。この場所にもっとも相応しいのは朝礼の校長であることを僕たちは再確認した。文化祭といわず、自分の部屋でも手軽に「非日常」を味わおうと完全遮光カーテンを下げて生活していたこともあったが、テーブルの角に左足の小指を痛打してから、明るいものに取り換えた。非日常は足許に気をつけなければならない。「胎内回帰〜映画館は出るため入るのか、それとも入るから出るのか」。以前バカな文章を書いたことを思い出した。
 さて、作家・佐藤泰志が故郷の函館市をモデルに空想した海炭市。そこでいきる人間たちを描いた連作短篇にして未完の遺作『海炭市叙景』。映画は18本の短篇から5本を抜き出し、さらに映画化にあたり縦・横の糸でしっかり編み込んだ、中だるみしない巧みな構成で一気に魅せる152分。人間は独りで生まれ、独りで死ぬと思っている僕にとってまさに「ビンゴ」な作品だった。この言葉にピンときた貴方にぜひお奨めしたい。
 人物はセリフで心境を説明しないし、サービスカットもなく、オチもない作品を見ていて、おもわず北野武監督を連想した。だが北野監督は暴力と笑いの表裏で“リアル”を演出するが、熊切監督の『海炭市〜』には笑いの要素がいっさいない。その意味ではまるで救いのない映画ともいえる。それでも僕が作品に引き込まれるのは、そこで地に這いつくばるよう生きる人間の点景にピントを合わせつつ、ひたすら海炭市の叙景を切り取るカメラの魔力ではないか。
 ラストで、膝に抱えたネコをトキ婆さんが優しく撫でて映画は終わる。トキ婆さんは、地域開発のため立ち退きを迫られた小さな家でネコと暮らしていた。「来年も再来年もここにいる」と決意する婆さん。ところがある日、婆さんの飼っていたネコが姿を消してしまった——。トキ婆さんの許に、本当にネコが戻ってきたのだろうか。いや、そんなことはどうだっていいんだ。作家が答えを用意する問題ではない。観た者の心に広がったものこそが答えに違いない。
 海炭市に傷ついた人々が、まるで磁場に引き寄せられるようにして、『あの場所に戻るのだ。』そして、彼らは静かに今日の陽が昇るのをまっていた。
 映画に先立ち小説を読んでいたが、20年前の原作とは思えない輝きを放っている。どんなに世の中が変わっても人間の生き方には普遍性がある。ひとりの人間の内面の空白を空白としたまま形式主義に走るのは、不誠実のような気がして、僕は嫌いだ。

 市民映画『海炭市叙景』。破滅と再生、そして希望の物語。久しぶりにみるヘビー級の邦画だった。熊切和嘉監督、全出演者・スタッフのみなさん、おめでとう。一生モノの映画がまた1本増えた。ありがとう。

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チラシ表。

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チラシ裏

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情報量が豊富なパンフレットは700円。

『海炭市叙景』公式サイト
http://www.kaitanshi.com/
シアターボイス
http://www.cinema-kitami.com/

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2011年2月28日 (月曜日)

『NHKハイビジョン特集・生き抜く 小野田寛郎』〜ビデオテープをDVDにダビングする作業に追われている。

『いかりや長介さん 一周忌特番/甦る、ザ・ドリフターズと森光子の大爆笑コント初蔵出しスペシャル』『NHKアーカイブス・1991年/マサヨばあちゃんの天地」』『NHKアーカイブス・1968年/ある人生「出かせぎのうた」』『歌伝説:ちあきなおみ・ふたたび』『小沢昭一/明治、大正、昭和、流行り唄のココロ』『知るを楽しむ/私のこだわり人物伝/松田優作〜アニキの呼び声』『NHKアーカイブス・奥羽山系マタギの世界』『NHKアーカイブス・日本動物記カッコウ』『NHKアーカイブス・夢であいましょう(幻の第1回放送)』『NHKアーカイブス・のぞみ5歳』『NHKアーカイブス・1984年トンボになりたかった少年』『NHKアーカイブス・現代の映像1967年 人か鳥か』『その時歴史が動いた/神々のうた/大地にふたたび〜アイヌ少女・知里幸恵の闘い〜』『NHKハイビジョン特集・E.YAZAWA 30年目のROOTS TOUR』『海を渡ったアイヌを求めて「よみがえれ民族の伝統」』『NHK特集・東京大空襲』『NHKハイビジョン特集・生き抜く/小野田寛郎』etc…
 ビデオテープをDVDにダビングする作業に追われている。コピーしてもコピーしてもまだ終わらない。
 いまとなってはビデオテープなどとても取り扱いの面倒なメディアだ。巻き戻しや頭出しが鈍く、おまけに保管するにも場所を取る。そこで手持ちのすべてのVTRをDVDにコンバートすることを思いついたのが三日前。それでも場所を占領していたテープの山が少しずつ低くなっていき、ようやく後ろの壁が見えるようになってきた。こうしてみると録画したまま忘れていた番組や懐かしいコマーシャルのなんと多いことか。そして受信料を払ってないくせにNHKばかり見てることにも気付いた。新発見だ。それにしても等倍速ダビングの時間がかかること。なんとももどかしい。

『NHKハイビジョン特集・生き抜く 小野田寛郎』
http://www.youtube.com/watch?v=jJdI7Vse5s0

「いままでいちばんつらかったことはなんですか?」
「戦友を亡くしたことです」
「うれしかったことはなんですか?」
「29年間、うれしかったことっていうのは、今日のいままでありません」

 戦友を亡くしたことを悔やむ小野田少尉の姿が印象に残った。
「交通戦争」「受験戦争」「就職戦争」、戦後も“さまざまな戦争”があって、それはいまも続いているのだが、どうもピンと来ない。やはり銃を向け合い、命のやり取りをするのが「戦争」ではないか。小野田さんが「戦友」の言葉を使うなら、僕にとってどんな立場の者がそれに当たるだろう。会社の同僚、スポーツのチームメイト、趣味の仲間……。だがそれらは「会社の同僚」であり「スポーツのチームメイト」、「ロックバンド」以外の何者でもない。命の切った張ったで修羅場をくぐり抜けた一蓮托生の同士、すなわち「戦友」ではないはずだ。
 辞書をひいてみた。
《同じ部隊に属し、戦闘や生活を共にする兵士。(広辞苑第六版)》
《戦争で生死を共にする友。軍隊生活における同僚。(株式会社岩波書店 岩波国語辞典第六版)》
《〔戦争で生死を共にする友の意〕 軍隊生活における同僚。(株式会社三省堂 新明解国語辞典)》
《〘名〙部隊を同じくし、戦地でともに戦った仲間。(明鏡国語辞典)》

 世間の人々が「ポジティブに生きよう!」なんてやっているのをみるにつけ、自分ひとりだけ関係のない塹壕にでも飛び込みたい気分になる。なんだか強迫観念にさいなまれているような響きさえ帯びた「ポジティブ」とは一体なんだ? そう生きなければ損だといわんばかり、「ポジティブ、ポジティブ!」と、うわ言のように繰り返すのがいる。ポジというからにはネガの裏返しでなければならない。現在の日本において、のうのうと暮らせるその背景には何があったのか。現在の平和とは何を土台としているのか。それなくして「ポジ」もへったくれもないもんだ。平和の根拠を示して欲しい。それくらい考える時間を持ってもいい。
 まるで舞台の書き割りのような社会において、金銭を担保とした即物的な幸福の追求。そこでは物欲に支配された人間たちが犇めき、憎しみ、奪い合い、殺し合い、いつか見た映画をなぞったような束の間の幸せを噛みしめて、たったひとつの合言葉「自由」が不意の爆風に溶けて風に消える。
「こんな連中とやってられない」
 そう思ったとき、小野田さんはブラジル移住を決意したのだろう。

『《メタル・インダストリア》では自分の家を構える概念がない。土地だの家だのと、もともとそんなものに値段なんかついちゃいないからさ。彼らは庭付きのバブルの泡の中に一切の夢をみない。ただ体力の続く限り快楽のみを求めてゲーム世界をさまよい続けている。それが彼らにとって快適だからだ。眠くなったり、腹が減ったら、データを保存してもうひとつの時間が流れる世界に帰還し寝食すればいい。血を流して今日を維持するのもすべて他人任せだ。種を蒔くのも収穫するのもすべて他人任せなんだ。だが飯を食わなければ人間は死んでしまう。身体性を否定した人間たちにとって、向こうの世界で必要なのはそれだけなんだ。食って寝る。彼らにとって向こうの世界はそれだけの意味しか持ってやしないのさ』
『でも僕は戦争なんか嫌だ。穏やかな生活を望んでなにがいけないんだ』
『虚構と現実、どちらが本当の自分かを問うより、より自分らしくいられる世界が現実となるのさ。それがどうだ。驚くべきことにこの街にはホームレスや捨て子までいるんだ。まるで向こうの世界をコピーしたようだ。俺は、いま自分が確かに生きていることの手応えが欲しいんだ。ところで……』
『……コトミンだ』
『コトミン。有力なプレーヤーはそのほとんどが企業と契約し、ロゴマークを頭上に掲げて移動するのを知っているだろう。ゲーム世界の広告塔として賃金を得られるシステムになっている。金融機関と直結したネット口座に相応の額が毎月入金される。東方の大きな町には行ったか。頭にブランド記号=看板をかざした者たちが町中に溢れている。いまや争いをやめた彼らは、この世界に存在する意味と目的を喪失したまま、行く先のない旅をさすらっているに等しい。企業に押し付けられた訳の分らぬブランドマークを社会に媒介するだけのミツバチのようなものだ。所有する《モノ》に自分を語らせ、己が高級な何かになったと幻想を生きている。コトミン。ここは理想郷なんかじゃありゃしないんだ——』
(社会の病巣を見つめ続けるばかりでなく激しくエグりもする、河野哲也の衝撃の問題作『おやすみコトミン』より)

小野田寛郎/Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/小野田寛郎

NHK番組公開ライブラリーリスト
http://www.nhk.or.jp/archives/nhk-tokushu/library/index.html
「文芸北見」第41号発売。僕も「おやすみコトミン」を書きましたんで、よろしく♪(o ̄∇ ̄)/
http://purplecoelacanth.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/o-dcc5.html

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2010年11月11日 (木曜日)

パトレイバーと大掃除

「後藤さん。警察官として、自衛官として、俺たちが守ろうとしているものってのは何なんだろうな。前の戦争から半世紀。俺もあんたも生まれてこの方、戦争なんてものは経験せずに生きてきた。平和。俺達が守るべき平和。だがこの国のこの街の平和とは一体何だ? かつての総力戦とその敗北。米軍の占領政策。ついこの間まで続いていた核抑止による冷戦とその代理戦争。そして今も世界の大半で繰り返されている内戦。民族衝突。武力紛争。そういった無数の戦争によって合成され支えられてきた、血塗れの経済的繁栄。それが俺たちの平和の中身だ。戦争への恐怖に基づくなりふり構わぬ平和。正当な代価をよその国の戦争で支払い、その事から目を逸らし続ける不正義の平和」
「そんなきな臭い平和でも、それを守るのが俺たちの仕事さ。不正義の平和だろうと、正義の戦争より余程ましだ」
「あんたが正義の戦争を嫌うのはよく分かるよ。かつてそれを口にした連中にろくな奴はいなかったし、その口車に乗って酷い目にあった人間のリストで歴史の図書館は一杯だからな。だがあんたは知ってる筈だ。正義の戦争と不正義の平和の差はそう明瞭なものじゃない。平和という言葉が嘘吐きたちの正義になってから、俺たちは俺たちの平和を信じることができずにいるんだ。戦争が平和を生むように、平和もまた戦争を生む。単に戦争でないというだけの消極的で空疎な平和は、いずれ実体としての戦争によって埋め合わされる。そう思ったことはないか。その成果だけはしっかりと受け取っていながらモニターの向こうに戦争を押し込め、ここが戦線の単なる後方に過ぎないことを忘れる。いや、忘れた振りをし続ける。そんな欺瞞を続けていれば、いずれは大きな罰が下されると」
「罰? 誰が下すんだ。神様か」
「この街では誰もが神様みたいなもんさ。いながらにしてその目で見、その手で触れることのできぬあらゆる現実を知る。何ひとつしない神様だ。神がやらなきゃ人がやる。いずれ分かるさ。俺たちが奴に追い付けなければな」

『機動警察パトレイバー2 the Movie』(1993)

 映画好きの人なら誰もが心に残る名場面を持っているはず。それほど詳しくはないが、僕にもいくつかあって、そのひとつが『機動警察パトレイバー 2 the Movie』だ。警察と自衛隊、それぞれ所属を異にする二人の男のやり取りに、羽田付近の湾岸工業地帯の背景が被った41:22から始まるシークエンスが秀逸。
 同作は93年劇場公開されたアニメーション。それ以前も押井守の名は知っていたが、「この監督、もしかして好きかも」が決定的となった、自身で記念的作品。アニメーションでは珍しいカメラの長回しと登場人物のシニカルなセリフに、ある種のインスピレーションを覚える。おそらく死ぬまで見続けるだろう。
 劇中、レインボーブリッジが爆破される印象的なシーンがある。『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』(2003)でソックリな場面をみつけたが、ある雑誌インタビューによると、本広克行監督も(やはり)押井信者とのこと。なるほど。
 押井映画の特徴として「登場人物のオッサン濃度がやたら高い」が挙げられる。だがぴちぴちキャラが胸を揺らして観客に媚びない分、清々しい。
 アニメーションときいて敬遠する人もいるだろう。若い女性が水着を着たまま戦闘ロボットで宇宙に飛び出たり、自閉症の子供がコクピットの閉塞空間に自らを幽閉し、へその緒みたいな電源ケーブルを引きずったまま互いのキズを舐め合う感傷を拒絶する向きも確かにあるだろう。だがそれはアニメーションではなく脚本の問題だ。
 僕の中では(セル)アニメと実写の差はそう明瞭なものじゃない。一秒24コマの連続再生で静止画にタマシイが吹き込まれるアニミズムの魅力に、セルや実写の別はない。セルアニメは表現方法の一形態なのだ。
 というわけで、興味のある方はぜひどうぞ。

 ところで、2週間前から着手した部屋の大掃除がまだ終わらない。まいった。きっと遊びながらやってるからだろう。辛うじて四面の壁を全露出させる段階まで漕ぎ着けたが、そのかわり床が大変なことになっている。積み上げられた本とガラクタの山で、東京タワー、マリンタワー、テレビ塔、通天閣がそびえている。写真で状況を説明したいところだが、iPhoneがどこに行ったか行方不明。夕方には出てくるだろう。現在は最新のスカイツリーが高さを更新中。おかげで夜ごと布団を敷くスペースの確保が趣味になりつつある。先日、悲しい倒壊事故があったばかりだが、なんとか雪が降る前には終わらせたい。

機動警察パトレイバー2 the Movie [DVD]
http://www.amazon.co.jp/機動警察パトレイバー2-Movie-DVD-押井守/dp/B00012T0I0
機動警察パトレイバー2 the Movie [Blu-ray]
http://www.amazon.co.jp/機動警察パトレイバー2-Movie-Blu-ray-押井守/dp/B0018KKQB4
TOKYO WAR MOBILE POLICE PATLABOR [単行本]
http://www.amazon.co.jp/TOKYO-WAR-MOBILE-POLICE-PATLABOR/dp/4757723660/ref=sr_1_10?s=books&ie=UTF8&qid=1289438737&sr=1-10

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2010年10月 8日 (金曜日)

函館舞台「海炭市叙景」 東京国際映画祭コンペに出品

函館舞台「海炭市叙景」 東京国際映画祭コンペに出品
(写真:東京国際映画祭に出品される映画「海炭市叙景」に出演した谷村美月(右)と南果歩=9月30日、東京都内)

 第23回東京国際映画祭(23土〜31日日)のラインアップを発表する記者会見が東京都内で開かれ、コンペティション出品作、函館が舞台の日本映画「海炭市叙景」(熊切和嘉監督)に出演した谷村美月、南果歩らがゲストで登場した。
 作品は函館市出身の作家佐藤泰志の遺作が原作。ある地方都市で苦い思いを抱えながら生きる人々の姿を紡いでいる。
 撮影も函館で行われ「地元の皆さんと一緒に作った温かい作品になりました」という谷村が演じたのは、造船所をリストラされた兄(竹原ピストル)と、元日の朝日を見るために山に登る妹役。
 幻想的な光景を思い出して「CG(コンピューターグラフィックス)でいろいろできちゃう時代と思いますが、朝日が出なければ次の日にまた行こうという現場で、リアルに感じたままそこにいればいい、居心地の良い現場でした」と振り返った。
 南は夫(小林薫)を裏切る妻役で、その息子役はオーディションで選んだ札幌市内の高校生が務めた。南は「いろんなかたちでプロの俳優と地元の方たちがいいマーブル状に絡み合って、フィルムに温度なり空気なりすべてが詰まっています」と思い入れたっぷりに話した。
 コンペティションは15作品で競われる予定で、日本からは98歳の新藤兼人監督が「最後の作品」と語り、庶民から見た戦争被害をテーマにした「一枚のハガキ」も出品される。
 映画祭のオープニングを飾る特別招待作品は、デビッド・フィンチャー監督の米映画「ソーシャル・ネットワーク」で、世界最大の交流サイト創設者のドラマ。クロージングは米俳優ベン・アフレックが主演・監督したサスペンスアクション「ザ・タウン」。
(2010.10.05北海道新聞夕刊芸能面)

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映画「海炭市叙景」公式サイト
http://www.kaitanshi.com/
北海道新聞‐どうしんウェブ
http://www.hokkaido-np.co.jp/

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2010年1月29日 (金曜日)

攻殻機動隊×サリンジャー×アオイ×トグサ

「僕は唖でつんぼの人間のふりをしようと考えたんだ。そうすれば、誰とも無益なばからしい会話をしなくてすむからね。誰かが何かを僕に知らせたいと思えば、それを紙に書いて僕のほうへおしてよこさなきゃなんない。そのうちには、そんなことをするのがめんどくさくなるだろうから、そうなれば僕は、もう死ぬまで誰とも話をしなくてすむだろう」
(『ライ麦畑でつかまえて』)

「で、サリンジャーの線を追ってるって?」
「ええ」
「確かに彼は『笑い男』という名の短編を残しているし、物語と事件との類似性を指摘する輩も少なくない。でも、その著書に関しての解釈は、特捜本部によって分析が済んでいる。作品の解釈が事件を解決する鍵にはならないと思うけど」
「文学は現実を模倣する。だったら、その逆だって……。俺は、あの授産施設で会った青年が、本物の《笑い男》のような気がしてならないんです」
「《笑い男》と思しき容疑者は、これまでたくさんいたわ。なのにあなたがその青年を本物であると考える根拠はなに」
「少佐は《笑い男》のマークに書かれている文字の意味を知っていますよね」
「“耳と目を閉じ、口をつぐんだ人間になろうと考えたんだ”。『ザ・キャッチャー・イン・ザ・ライ』25章からの引用という話ね」
「ええ。報告書にも書きましたけど、その一部を施設の中でも見つけたんです。最初は小説のまんまだと自分でも思い込んでいた。でも、俺が見つけた文章は、“なろうと考えたんだ”のあとに、続きがあったんです。“or should I ? - だが、ならざるべきか”。そう書き加えられていたんです。あれは、彼自身の自問自答だったんじゃないでしょうか。沈黙を破り、再び世に出ていくべきなのかという。少佐にも、こんな心理ありませんでした? たとえば、好きなアーティストなんかを真似するときって、できるだけ完全な物真似をすることで、オリジナルに近付こうとするでしょ。なのに、サリンジャーからの引用をあえて書き換えた青年は、自分が本物だったからこそ、文章の最後を書き換えられた」
「ずいぶん個人的指向に拠った推論ね。根拠としてはあまりにも弱いって、わかってる?」
「《笑い男》は、およそ技術力に似つかわしくない、アナクロな行動が目立った犯罪者です。ひょっとしたら《笑い男》って、ハッキングが得意でありながら……いや、得意だからこそ、書き換えが可能な電子情報に、なんら価値を見いだしていなかったんじゃないでしょうか。そう考えると、やつが狙っていたものは、物理的に保存されている情報、つまり紙媒体での資料だったのでは?」
「それを直接確かめてきたい?」
「はい」
「施設での失敗の感情的復讐戦ってことだったら止めようと思ったけど、あなたもゴーストがささやくようになってきたのかしらね。いいわ。好きにしなさい。課長には私から言っておく」
「ありがとうございます」
(『攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX The Laughing Man

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「誰も僕を知らず、僕のほうでも誰をも知らない所でありさえしたら。そこへ行ってどうするかというと、僕は唖でつんぼの人間のふりをしようと考えたんだ」(『ライ麦畑でつかまえて』)
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 ……だが、ならざるべきか。
ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス) (新書)
攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX The Laughing Man [DVD]

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2010年1月20日 (水曜日)

菊次郎とさきの物語〜 なぜか綾瀬。

 8ミリビデオテープの整理をしていたら、『菊次郎とさき』を見つけた。数年前に地上波で放送していた連続テレビドラマだ。久しぶりでまともなドラマだった。東京の下町足立区を舞台とした北野武の同名小説をベースに、彼の父である菊次郎の破天荒を全面にフィーチャーした笑いと涙と人情のドタバタ悲喜劇。
 とにかく菊次郎、酒を飲んでは失敗をやらかし、他人に迷惑をかけてばかりいる。実の母(たけしの祖母)も「いつか殺してやる」が口癖になっているほどだ。こうした人物造形はステロでありながら、現代の、それも十代の若者に通じるものがある。菊次郎には居場所がない。そして、家族に相手にされない。その孤独を紛らわせるため菊次郎は今日も酒を飲むのだが、酒癖の悪い彼は決まって近所のドブに落ちて妻のさきに迷惑をかけることになる。それでもどうにか家族の団欒に入ろうとする菊次郎は、自分はそんなものに向いてない事を誰よりも知っている。
 人間とは、ひた向きに生きようとすればそうするほど傍からは滑稽に見えるものだ。菊次郎は今夜も酔っている。家へ帰るにもいつも気を使っていて、さきの怒りを回避すべくあの手この手で「ただいまぁ」と戸を開けるその手つきが、後年ビートたけしの連続コントに受け継がれた。
「父ちゃんさえいなければ」
 そう口を合わせる北野一家だが、父兄参観の日、気負いすぎて酒に酔ったまま登場した菊次郎の醜態で、たけし少年がクラスで恥ずかしい思いをした。その夜、たけしとさきは菊次郎を責めた。気持ちを抑えきれず、「父ちゃんのバカ」とたけしはつい怒りをあらわにするが、いままでダメな夫を罵っていたさきが一転して「親に向かってバカとはなんだ!」とたけしに手を上げたのだ。
 このドラマには背骨が通っている。本来、家庭劇とはこうしたものだった。父親と息子が「友達」などであるわけがない。
 浅草、ストリップ劇場のエレベーターボーイからビートたけしの芸歴は初まった。師匠深見千三郎からは「芸」ではなく「生き方」を学んだという。もし彼が麻布に暮らす外務官僚の令息だとしたら、ビートたけしそのものが誕生していないはずで、このドラマだって無かった。東国原宮崎県知事の逸った言動に対してたけしが助言を与えたときも、「俺が師匠って事になってるみたいだから」とマスコミをかわしてみせる粋な身のこなしは浅草芸人のそれである。
 かつて、仕事の都合で綾瀬駅を利用していた。あの雑踏は濃密だ。新宿のそれとは明らかに性質が違う。ホームに吐かれたタンの成分まで違うような気がする。何の因縁か巨大都市・東京にあって、よりによって綾瀬なのだ。それだから、綾瀬なのだ。例えば、見知らぬもの同士が乗り合わせた電車の乗降口で事件があっても、必ず犯人が特定されてしまうような予感というか、その濃厚な人間関係、それが下町の磁場である。
 北野武が新宿のジャズ喫茶でバイトをしていた当時、永山則夫と一緒だったことがほんの一時期あったという。勤務シフトの都合で擦れ違いだったようだが、その後のビートたけしと永山則夫を分けたものは、それほど大きなものではないように思える。人に迷惑をかけねば生きていけない時代に青春時代を過ごした。その迷惑を持ち回りのものとして分担しあったのが、いまは廃れた地域社会だろう。だが当時の武は、隣の晩ご飯まで言い当てられるような濃密な地域社会から脱出を試みて放浪生活を送るのだが、後年、自身のテレビ番組に「足立区」を冠するあたりに「地域」への回帰が窺える。
 そんな「地域社会」とは、いまや人々の記憶とドラマの中にだけ眠っている。かけがえのないものと気づくのは、いつも失われた後だ。そして、失われたすべてをいとおしむには、人生の年輪が必要なのかも知れない。

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