カテゴリー「社会・歴史」の記事

2011年4月 2日 (土曜日)

カッコ良い昭和ビルヂング〜紋別市民会館編

※クリックで大表示。

Img_2436_5

Img_2438_5

Img_2439_2















紋別市いってきた。「北方の海は俺に任せろ!」。ワケもなく力が入るロケーション。左側の旗は紋別市のマークだろうか。

Img_2484_2

Img_2490_4

Img_2492_6















イスとテーブルがちがう! 階段がちがう! 手すりがちがう! ディス・イズ・昭和!

Img_2480

Img_2482

Img_2486















ドアがちがう! 円卓がちがう! フローリングがちがう!

Img_2477

Img_2479

Img_2488















スイッチ、扉の札、室内を縦貫する配管、すべてがちがう!

Img_2494

Img_2497

Img_2495















『♪雪の重さをはねのけながら/背のびしたかろ枝も葉も/山に若葉の春がくりゃ/よくぞ耐えたと笑う風/苦労 年輪 木は育つ♪〜θ(^0^ )』サブちゃんが聴こえる。

Img_2462_3

Img_2440

Img_2448

Img_2469















クマー! オスかな? メスかも? 前に立つとちょっとコワイ(″ロ゛)

Img_2444

Img_2446








吹き抜け〜(*^ワ^*) シャンデリアがつり下がってます。おや? このツノは何だろう?

Img_2452_2

Img_2450_2

Img_2455_2















なんとシカのはく製
|・) ジー ( °o°)ハッ!
それも対面でオスとメスの2頭が向き合ってシュール!(*^o^*)? まてよ、メスジカにツノはないはず。じゃあこれはナニ? オスが向き合ってるのかな。ホモジカ? もしかしてトナカイ? う〜む気になる( ̄〜 ̄;)

Img_2463








とおもったら、またクマー 油断がなりません(((/^o^;)/

Img_2441

Img_2443

Img_2447















お、見事な書! 美しい絵画! 美術を愛するココロ
|電柱|ー ̄) 隠れニヤリ

Img_2449

Img_2453

Img_2442















オホーツクブルー! ネクラ少女! そして流氷! ちょっと解釈ちがうかも(●´∀⊂) 氷の上にテントを張ってキャンプしてた内地(本州)の大学生が沖に流されて大騒ぎになった話を聞かせてもらった。流氷といえばアザラシと唐十郎! 『北の国から2002遺言』f(^^;) ポリポリ

Img_2456

Img_2460

Img_2499

Img_2502















さぁ見学の合間に仕事も終わったし、省エネモードで電球半分だけ点いたシャンデリアも灯ったし、そろそろ北見に帰るか。オモテもすっかく暗くなりました。さよなら紋別、アイル・ビー・バック! ……しまった、外観撮るの忘れた。。(・Θ・;)まあいいか。レトロバンザイ! クマー!

Img_2474_3


|

2011年2月21日 (月曜日)

北見市役所はかっこ良い昭和ビルヂング2(後編)

※クリックで大きくなります。

Img_2010

Img_2011

Img_2048

Img_2049


北見市役所内の応接室。昨年11月、ロコ・ソラーレ北見の本橋麻里選手、北見カーリング協会会長の松平斉之氏が「カーリング場整備」の嘆願書を市長に提出したときもこの部屋で会談が行われた。役所内は不思議な作りになっていて、中2階というか、1.5階部分に2階がある。だから階段を上り切る途中で、不思議な角度でフロアを見下ろすことになる。継ぎ接ぎを重ねて拡張したから、新旧で建築基準が違うのだろうか。


Img_2051

Img_2053

Img_2057

Img_2055_2


前編の「喫煙所」は4階部分のスペースで、スチールドアを開けると屋上に出た。撮影日は雪が積もっていたので、解放感にひたることができず、残念。ちなみに扉は無施錠だった。公共の空間であることを考えると、とても危険に思われる。喫煙所は地下1階にもあった。こちらは食堂跡だろう。民間が経営していた食堂はすでに撤退している。


Img_2059

Img_2062

Img_2063


階段を上がって地上に出た。ところが、おかしなところに出てしまった。どこだここは? 正面玄関から入ったはずなのに、中庭みたいなスペースだ。建物内をうろつくあいだ、本館と別館を行ったり来たりしていたようだ。中空の渡り廊下をみると、やはり段差がついている。地上から正面にも回り込めるが、だがその先は除雪が行き届いておらず、袋小路になっていた。仕方がないので反対側に回り込みと、そこは食堂の入り口。まるで九龍城みたいな北見市役所。


Img_2066_2

Img_2067

Img_2069

Img_2071

Img_2073

Img_2076


廃屋というと失礼だが、マニアを惹きつけて止まない独特なオーラが出ている。コンクリートのクスミ。雨垂れのシミ。サビついた窓枠。壁をつたう配線・配管。壁に走った亀裂。季節外れの扇風機の異観。それらは現在流れる時間と好対照であるがゆえに調和をなしている。そして、醸された異様のすべてを中和する快晴の空が効果的だ。年間平均気温6.8度。年間降水量560mm。年間日照時間1,894時間。最高気温32.2度。最低気温22.2度。(平成20年網走地方気象台調べ)排煙工場が一つもない北見市をひと言でいえば「青空の町」だ。


Img_2078


正面玄関。張り出した風除湿の上がデッキになっている。こうした建築をたまにみかけるが、どんなとき使うのだろう。誰かがここから市民に向けて演説でもするのだろうか。


Img_2080


ぼく的には塗装の剥げたこのポストも高ポイントを獲得した。


Img_2084

Img_2085

Img_2087

Img_2089

Img_2091

Img_2094

Img_2095


駐車場が狭いので、すぐ満車となってしまう。ひところ流行ったペットボトルの風車。作り手の姿が思い浮かぶものは極彩色をまといながらも「廃虚」のグループに入る。


さあ、建物をぐるっと一回りした。もっと細部にカメラを向ければ良かった気もするが、取り壊しは今年9月だ。それまで折りを見てまたまた出かけるとしよう。取り敢えず、今回は退散。


Img_2101_3

ああ、腹減った。市役所前の通りを繁華街に向っているとローソン発見。パンでも買おうかな。「抹茶&抹茶ケーキドーナツ」? おいしいかな。


Img_2098_2

はっ! 振り向けばここにも廃屋。病院跡らしい。


Img_2099


脇には高層マンションがそびえている。惚れ惚れするほど見事なコントラスト

Img_2103

あっ、ここにも! これはいくら時間があってもたりないや。世も末の時代に(?)キリスト教の看板に書かれた文句が香ばしい。
雪が溶けたら「北見の廃虚特集」やらないとね。住んでる人が中から出てきて「なにが廃虚じゃあ!」と怒られないよう事前に下調べをしなくちゃ。
ではまた。´・v・*))ノ゙

北見市役所はかっこ良い昭和ビルヂング2(前編)
http://purplecoelacanth.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-8bcf.html

|

2011年2月20日 (日曜日)

北見市役所はかっこ良い昭和ビルヂング2(前編)

『北見市庁舎のボロさが激しく、実際に壁面の一部が崩れ落ちて危険な状態にある。だから職員は庁舎内で防災頭巾で業務に当たっている。受付嬢も炭鉱夫みたいにガッチリしたヘルメットをかぶって白い歯を見せている。』
 先日、ツイッターでいい加減なことを書いたらその筋から睨まれてしまった。北見市に新しいカーリング場ができると聞いて、「老朽化の激しい市庁舎はどうなるか?」といった文脈だったが、いくらなんでも「倒壊寸前」などとソコまでひどくないのでご安心を(?)。
 今回、あまり役所に来る機会のないあなたのために潜入取材を敢行した。一番の目的は鍾乳石(*1)。一昨年だったか、庁舎(本館)の窓枠に珍現象が発生していると話題となったので、ご記憶の方もいるだろう。コンクリート中の炭酸カルシウムが、ヒビから入り込んだ雨水で溶け出し徐々に成長したもので、古いコンクリート建築でまれに見られる現象らしい。昭和30年に完成した北見市庁舎の一部からも鍾乳石が発生し、現在に至るもそのままの状態で保存されているという。その様子を遅まきながら確かめてみよう。
 受付嬢(ヘルメットは被ってなかった)に目的を告げると、内線で担当氏につないで撮影許可を取ってくれた。そればかりか問題の現場では、担当氏がわざわざ出向いて下さり、案内をしてくれた。夜勤明けの思いつき企画だったが、話が大きくなってしまいナンとも恐縮。
 日ごろは1階で住民票を取るくらいで、2階から上には行ったことがない。僕自身にとってほとんど未知のエリアだ。案の定、内部は60-70年代のレトロな雰囲気に満ち溢れた「廃虚マニア」にはたまらない空間だった——。
 本当は写真の一枚一枚にコメントをつける予定だったが、作業が膨大になりそうなのでやめにしよう。足りない部分を妄想で補ってほしい。小説と同じように、受け手の心で広がる心象が意味のすべてであり、それは見る人によって様々な解釈をもたらすのだ。
 え? 講釈はいいからはやく見せろ?
 わかったよ。
 その前に……今回はびょんろぐさんのブログ「北見市役所はかっこ良い昭和ビルヂング」の続編的位置づけとなっている。びょんろぐさんは昨年初冬に撮影されたようで、庁舎全景の手前に小公園がみえる。しかし私は2月中旬の撮影だったため、除雪が行われない小公園から引いた写真を撮ることができなかった。
 なお担当氏の説明によると、市役所はすでに北見市駅横への移転が決定しており、各所に開設された分室への機能移転が始まっているという。実は本庁舎も本年9月の取り壊しが決定しているとのこと。ということは私の、寝癖もそのままにした「夜勤明け思いつき企画」の写真が永久保存版となるかも知れないのだ。むむ、責任重大?
 それではさっそくご覧いただこうなお、残りの写真はパート2で公開する予定だ。

(*1)しょうにゅう-せき【鍾乳石】
(「鍾乳」は「鐘乳」に同じで、つりがねの表面の 突起の意)(stalactite)石灰洞の天井から垂下した円錐状ないし円筒状の石灰質沈殿物。普通は白色または灰色。中心に穴があり、断面に成長を示 す同心円模様が見える。石灰岩の割れ目を雨水が通過し、炭酸カルシウムを溶かして流れ、滴したたり落ちる時に沈殿したもの。いわつらら。氷柱石。石鍾 乳。(広辞苑)

市史編さんニュース「ヌプンケシ」№181〜小公園は何時からあったのか?
http://www.city.kitami.lg.jp/650-03/181/nupunkesi181.htm

びょんろぐ/北見市役所はかっこ良い昭和ビルヂング。
http://blogs.yahoo.co.jp/koukinkikaku/64273631.html

※クリックで大きくなります。

Img_1997

Img_1998

Img_1999

Img_2024_2

Img_2001_2

Img_2002_4

Img_2003_2

Img_2004_2

Img_2005_2

Img_2006_2

Img_2007_2

Img_2008_2

Img_2009_2

Img_2012_2

Img_2013_2

Img_2014_2

Img_2016_2

Img_2020_2

Img_2017_2

Img_2022_2

Img_2024_3

Img_2025_2

Img_2028_2

Img_2030

Img_2031

Img_2033

Img_2037

Img_2042

Img_2044

Img_2046




Img_2010_3

後編に続く。

北見市役所はかっこ良い昭和ビルヂング2(後編) http://purplecoelacanth.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-007e.html

|

2010年1月23日 (土曜日)

砂川市有地の政教分離訴訟で新基準

 砂川市が空知太(そらちぶと)神社に私有地を無償で使用させているのは政教分離に反する憲法違反として、市民が菊谷市長を相手に訴えを起こした「砂川私有地神社訴訟」で最高裁大法廷は20日、無償提供は信教の自由の保障との関係で、相当とされる限度を超えると述べ、違憲の判断を下した。だが違憲状態の解消には撤去が必要とした二審札幌高裁判決を破棄し、別の解消方法について審理を尽くすよう同高裁に差し戻した。

 判決は、国や自治体の行為が政教分離原則に反するか否か①施設の宗教的正確②無償提供の経緯や様態③一般人の評価  ─ を総合的に考慮し、従来の「目的効果基準」(*1)とは別の、社会通念に照らして判断する必要があるという新たな憲法判断基準を示した。
 その上で、空知太神社は鳥居やほこらがある明らかな宗教施設で、祭事を行っているのは管理している町内会ではなく宗教団体の氏子集団と認定。「一般人からみて、砂川市が私有地を長期間にわたって継続的に無償提供していることは、特定の宗教に特別の便宜を提供し、援助していると評価されてもやむを得ない」として、違憲と結論づけた。
 ただ、二審判決が違憲状態の違反解消には鳥居やほこらなどの撤去が必要としたのに対し、大法廷判決は「撤去は地域住民の宗教活動を困難にし、信教の自由に重大な不利益を及ぼす。有償譲渡や適正価格で貸し付けるなど、他の方法でも解消することができる」と指摘した。

原告の谷内栄さんの話
「憲法の面では勝ったが、(100点満点で)65点の判決。違憲判断の後に続く(審理差し戻しという)言葉が良くなかった。だが最高裁が憲法を守ってくれたことで、ある程度道が開けてきた。子どもや孫の世代のため、この判決を発展させたいという気持ちが今のわたしを支えている」
菊谷勝利・砂川市長の話
「違憲状態を解消するため、関係者と話し合って解決を図りたい。(鳥居などを)撤去するのが良いと思うが、それができなければ土地の売却が良いのか賃貸が良いのか、どういった方法なら理解が得られるのか、話し合っていきたい」

 明快な判断の背景には、大法廷判決が従来より一般的な社会常識を「重要な考慮要素」と位置づけたことがある。このため、施設の宗教的性格などに加え「一般人の評価などを総合的に考慮するべきだ」という新基準を提示。あいまいで分かりづらいと批判され続けた従来の「目的効果基準」を使わず、より一般人でも分かりやすい判断基準を示したことは評価できる。
 ただ、完全な政教分離は不可能という最高裁の立場は変わっていないため、「今回の基準でもまだあいまい」との批判は残るだろう。
 最高裁が、あいまいという批判を払拭し、市民感覚を意識した政教分離原則判決を出せるか否かは、つぎの判決が試金石となる。

平野武・龍谷大学教授(宗教法学、憲法)の話
「空知太神社に関する違憲判決は、神社の宗教性を認め、政教分離をめぐる最高裁の立場を明確にしたことで、意義は大きい。同種の問題を抱える各自治体へ波及するだろう。一方、富平神社(*2)に関する合憲の判断は不満が残る。政教分離の原則は、自治体が宗教施設に利益をもたらす形で『違憲状態を解消した』というのは本末転倒だからだ」

熊本信夫・北海学園大学名誉教授(行政法)の話
「本件の神社施設を宗教施設と見なし、宗教行事を公有地で行うことを違憲とした点は評価できる。ただ、空知太神社に関して意見と判断しながら、札幌高裁に差し戻し、違憲状態を解消するため施設の撤去以外の方法の有無を検討させることに意味があるのだろうか」

 判決後、原告の谷内栄さん(79)は最高裁南門に姿を現し、報道陣に語った。宗教と公権力が結び付いた暗い軍国主義の時代を知る世代。空知太神社の敷地が私有地と知り、見過ごせなかった。活動を始めてから18年間「憲法の本を体から離したことはない」。
 空知太神社は小学校の増築に伴い、住民が土地を寄付して現在地に移転した。開拓時代に住民の精神的よりどころとして建てられた小規模な神社で、土地の所有権が問題となったこともなかっただけに、菊谷市長は「特定の宗教を援助する意図はなかった。最高裁の判決は実態と比べ、厳しい」と戸惑いも見せた。
 空知太神社を管理する空知太会館運営委員会委員で、空知太神社世話人会総代の佐藤勉さん(82)は「市の意向を聞き、十分相談して決めたい」とした上で「開拓した人たちが大変な苦労をして五穀豊穣、無病息災を願った気持ちを残せるようにしたい」と語った。
 砂川市のケースと同様に、公用地を神社に無償貸与しているのは、砂川市を除く道内34市のうち12市と道の計62件に上ることが分かった。町村を含めると、100件以上になるとみられるが、最高裁判決を受け、各自治体は有料貸与に変更するなどの準備を進めている。一方、こうした神社はおもに明治時代に開拓者がつくり、長い間、地域のよりどころになっていることが多く、住民の困惑も大きい。
 道内で最も多い17神社に無償貸与している北見市。市は「開拓当時から、この状態が続いているのでは」(総務部)と推測するが、私有地を貸した経緯は分からないという。
 無償貸与を受ける神社の多くは宮司が常駐せず、町内会が管理運営している。祭りなどの行事のほか、町内会館代わりの利用も多い。
 道有地に建つ札幌市豊平区の中の島神社。10町内会でつくる運営委員会などによると、同神社は1877年(明治10年)に開拓者5人がつくり、1914年(大正3年)に近所の現在地に移転した。
 後に道有地であることが判明し、1994年に道が運営委に売却を提案した。土地は1360平方メートルで、売却金額は3億4千万円。当時の運営委員会は「払えるわけがない」と受け入れず、以降、売却の具体的な話はなく、無償貸与が続く。
 運営委員の阪井治美さん(81)は「長い間、道の土地であることを地元では誰も知らなかった」と困惑する。
 道内の神社の成り立ちに詳しい大浜徹也・筑波大名誉教授(近代宗教史)は「道内は開拓期に全国からきた人たちが故郷の神様を持ち込んでまつったケースが多く、地域の心のよりどころの意味合いが強い。最高裁の違憲判断は、道内の歴史や実情を理解していない」と話している。
 これに対し、札幌のキリスト教関係者は「違憲は当然の判決だと思う。土地に限らず、日本は政教の境界があいまいな傾向がある。今回の判決は神道のみならず、すべての宗教関係者に対しても、そうしたルーズさを指摘する警鐘になるのではないか」としている。

(*1)目的効果基準
国や自治体に許されない宗教活動を『社会的・文化的条件に照らして相当限度を超えるもの』に限定し、『どの程度のかかわり合いならば憲法上許されるのか』を判断する基準。
(*2)富平神社
砂川市の市有地の神社を巡る2件の政教分離訴訟の一方。市が富平神社の立つ私有地を管理する地元町内会に無償譲渡したことが違憲かが争われた。最高裁大法廷は20日、「違憲の恐れのある状態を解消するために行ったものだ」と合憲判断し、市民側の上告を棄却した。判決は、この私有地はもともと、地元住民が市に寄贈したものであり、無償譲渡しても市条例の趣旨に適合すると指摘した。

(北海道新聞1月21日朝刊紙面抜粋)

|

2009年7月10日 (金曜日)

ラクイラ・サミット メドベージェフは領土問題をスルっとスルー 寒い総理はアイム・ソーリー

ビザなし訪問団、択捉から帰港 「行政府はけんか腰」
 【根室】北方領土とのビザなし交流で択捉島などを訪れていた日本側訪問団(団長・山口洋子連合副事務局長、65人)が10日、チャーター船で根室港に戻った。クリール地区行政府がビザなし渡航を中止する方針を決めた中での訪問だっただけに、緊張感から解放された団員は、ほっとした表情で船を下りた。
 訪問団は青年団体や労働団体などでつくる北方領土返還要求運動連絡協議会のメンバーが中心。
 山口団長は「行政府の対応はけんか腰だったが、訪問したロシア人島民の家庭では大変歓迎された。そのギャップが大きいと感じた」と話した。
 一行は6日に根室港を出発し、7日に国後島、8日に択捉島を訪問。択捉島では地区行政府の中止決定や悪天候などで予定が大幅に変更され、ロシア人島民との対話集会も開催できなかった。
(07/10 13:54 どうしんウェブ)

 北方領土がらみでロシアが怒ってる。「四島は我が国固有の領土」と明記した改正北方領土問題等解決促進特別措置法(北特法)の成立に反発しているのだ。ロシアというより、択捉島(えとろふとう)を管轄するクリール地区行政府が興奮しているのだ。サハリン州知事が打ち出した「ビザなし渡航中止」問題も波紋を広げているが、しかし騒いでいるのは択捉だけで、国後島(くなしりとう)なんか問題にもなってないのだから、なんだかテキトーだね。択捉には「ギドロストロイ」という大企業がある。建設業、空港建設、孵化場、発電など島内の就業の6割を占める有力企業だけど、それとなく経済が回ってるから強気なんだ。一党独裁国(ロシアは複数政党の民主主義を首相の強権で独裁する国)は何でも中央が命令するのにオカシいなぁとお思いでしょうが、ビザなし渡航は民間交流と定義されているらしく、現場に権限が与えられているから、いち地方の変なオッサンが威張っているのだ。
 冷戦が崩壊したいま四島は、アメリカを睨んだ防波堤としての機能なんかとっくに終わっている。「クリル発展計画」に中央がどれだけ予算をつけるか不透明だ。四島で暮らす人々にとっても、日本の高度な医療技術、医薬品や経済支援がなければすぐにも困窮する暮し向きだから、日本との平和友好事業が滞っては困るんだね。日本の支援がなければ成立しない地域なのに、ロシア政府は不法占拠をやめようとしない。北方四島がロシアに横取りされて以来、根室管内1市4町の地元漁業・地域経済は大打撃を受けている。
 北特法改正案に抗議するためロシアの青年たちがモスクワの日本大使館前で集会を開いて気勢を上げたが、気の毒な話だ。まだ共産党時代の名残がある彼の国で、都合の悪い情報は一切与えられていない若者たちだ。領土交渉で北方担当役人と会談を持った際、国民の反発があるなら政府が強力な指導力で押さえ込めばいいと言われて、「この人たちは民主主義をまるで理解してない」とボヤいた外務官僚もいたね。中国、北朝鮮、そしてロシア。一党独裁国家は百害あって一利なしだ。竹島を韓国領だと考える北教組も、この問題では不思議と横槍を入れてこない。いざとなれば縄で縛って猿ぐつわで黙らせる必要はあるが。
 択捉島、国後島、色丹島(しこたんとう)、歯舞群島(はぼまいぐんとう)の北方領土は日本のもので、いつか返還に向けて解決しなければならないことはロシア政府だって充分わかっている。ただ、死に体となった麻生内閣と交渉するのは間が悪いから時間稼ぎをしているだけ。日本は足元を見られている。「北方領土は日本固有の領土」と従来から主張するのはロシアンブルーだって知っているのだから、怒っているのは単なるポーズ。あまり熱くならず、ここはひとつ静観した方がいいだろうニャア。

| | トラックバック (0)

2009年7月 5日 (日曜日)

夜霧よ今夜もありがとう〜石原裕次郎 二十三回忌法要

『天国からのラストメッセージ「ありがとう」石原裕次郎二十三回忌特別企画』
 昨夜、テレビ(地上波)で裕次郎の映画やってたね『富士山頂fuji  新田次郎の同名小説の映画化で、富士山頂に気象観測レーダーを設置しようとする男たちの物語。なんだかプロジェクトXみたいだけど……「巨大台風から日本を守れ 富士山頂・男たちは命をかけた」(富士山レーダー・三菱電機 3月28日)そうか、同番組の第一回放送もこれだったのかcoldsweats01 「映画は映画館で」との裕次郎の意向でビデオ化されてないから初めて観たsweat01 CMでぶつ切りになるのは仕方ないけど、これは純粋に映画を楽しむというより、週末のゴールデンタイムに「裕次郎がお茶の間に降臨した」と捉えた方が良いね。実際、画面の中には昭和な磁場typhoonが張られていて、それがこちら側にもビンビン来たしねって、なに言ってるかわかんないけどcoldsweats01sweat01 亡くなってから20年以上が経過してまだ話題が尽きないって凄いdashsign03 石原裕次郎! 勝新太郎! 山崎努! 芦田伸介! 宇野重吉! 渡哲也! 映画でしか観たことない人たちが揃ってるよォ〜crying ロケも金かかってるしなぁ。「裕次郎さんが使っていた台本が19日に39年ぶりに東京都調布市の石原プロ内で見つかり、」って、もっとはやく見つけれよォ!punch annoy
「独占生中継!裕次郎二十三回忌法要in国立競技場」
 昨日からテレビばかり見てるネsweat01 裕次郎が眠る総持寺の(横浜市鶴見区)大祖堂を模した建築物(幅50メートル、高さ17メートル)を国立競技場に再現する「裕次郎寺」だもんな。スケールが違うなぁ。映画のセットみたいだsweat01 ニュースでもがんがんやってるよォsweat01「午後6時半までに8万9千人」! ウヒョ〜〜happy02。このイベントでは限定5万人に無料で記念品が配られるそうで、石原プロの発表では「応募が75万1170通」もあったそうだ。当選倍率15倍! 自分はテレビで観てたけど、まだ興奮してるねdash
「裕ちゃ〜ん!」「裕ちゃ〜ん!」「裕ちゃ〜ん!」
 渡哲也が熱かったねhappy02 天海祐希も美人だったしなぁheart02 ああ、お腹すいたnoodle
 でも後にも先にも彼だけだネ!
 shine昭和の大スター石原裕次郎shine
『黒部の太陽』もまだ観てないし、、、映画館でやってくれよォ!pout これを観るまで僕の中でまだまだ裕次郎は終わらないsweat01dash
 しかし取り留めがないブログだなぁbleah

| | トラックバック (0)

2009年6月25日 (木曜日)

夏休み直前企画・よい子のための戦争講座2「怪鳥、現れ、東京、壊滅」

 昭和十九年十一月、百十一機の編隊を組んだ巨鳥が初めて東京上空に姿を現した。
 一九四二年九月、試作機が完成したB29の航続距離は五千六百キロ。サイパンからの出撃だと往復してもおつりがくる。高度一万メートルの亜成層圏を六百キロ近いスピードで飛行できる重爆撃機。米アーノルド司令官は同機を一千六百機以上発注して「三十億ドルのバクチ」と呼ばれた。この爆撃機の破壊力は様々な記録や証言で語られているのでそちらを当たっていただくとして──、このとき大本営はB29の存在を知らない、事になっていた。しかし同年一月アメリカ側から発表があり、同じく四月には日本機と交戦事実があるため、アメリカ最新爆撃機の能力を知らないわけがない。サイパンに固執した東条首相は、島を手放せばこの戦いに勝ち目はない事に気付いていた。サイパンがアメリカの前線基地となることで、そこから発着するB29が日本の主要都市と軍事基地を破壊できるようになるからだ。
 おなじ頃中国大陸では大陸打通作戦が展開されていた。B29で使用すると予想された航空基地の占領を目的のひとつとした作戦ながら、すでにマリアナ諸島は陥落しており、その段階で無意味であるばかりか、鉄路を結ぶ華北では八路軍の攻勢に苦しめられる事となる。長距離爆撃機B29を擁するアメリカは、大陸に基地を設けずとも日本の首都をいくらでも攻撃できるようになっていたのだ。前門の八路軍、後門の米軍。日本の進退は窮まった。
 マリアナ海戦の失敗で首相、陸相、軍需相、参謀総長のひとり四役をこなし、「サイパンは絶対に落ちない」と断言していた東条内閣が総辞職、後任の小磯国昭陸軍大将が組閣する。新しい参謀総長には梅津美冶郎が就任。梅津は停戦を望んだが、日本側が優位に和平するためには、残された全勢力を傾注し敵に大打撃を与える必要があるとして、新たに台湾、千島樺太、琉球、本土を決戦場に設定。しかしそれは「絶対国防圏」の縮小に過ぎなかった。つきあってる女の携帯に他の男から頻繁にメールが来る気配を感じながら、事実だったら恐いので問い糾せない男の心境に似ている。──不謹慎。
「歴史にifはない」という。だが、もしこの段階で白旗を挙げていれば続くレイテでの特攻、沖縄戦、広島・長崎の原爆投下は回避できたかもしれない。この時期の対米抗戦能力は海軍で一割程度、陸軍でも四割程度だったとされる。
「我が部隊は十月十二日以降、連日連夜、台湾及びルソン東方海面の敵機動部隊を猛攻し、その過半の兵力を壊滅して、之を潰走せしめたり。
 我方の収めたる綜合戦果次の如し」
[轟撃沈]航空母艦十一隻、戦艦二隻、巡洋艦三隻、巡洋艦若は駆逐艦一隻
[撃 破]航空母艦八隻、戦艦二隻、巡洋艦若は駆逐艦一隻、艦種不祥十三隻
[撃 墜]百十二機(基地に置ける撃墜含まず)
[我方の損傷]飛行機の未帰還三百十二機……。

 太平洋戦争は佳境に入っていた
 十九年十月十九日付けの大本営海軍部発表で、T攻撃部隊が南シナ海のアメリカ機動部隊を撃滅したというものだ。これには天皇も御嘉尚の勅語を発し、国民も驚喜した。Tとはタイフーンの頭文字。
 しかし実際の戦果はそう勇ましいものではなく、六百機の航空機を投入して巡洋艦二隻を大破させたに過ぎず、それどころか大半の航空機を喪失したのが実情だった。これを、連合艦隊の豊田司令長官は大本営連絡会で「空母十五隻を確実に撃沈」と報告した。天皇はおろか陸軍部まで欺く虚報だ。

 昭和十九年八月、アメリカ軍はサイパンをほぼ制圧。二十年三月には激戦の末に硫黄島を失ったことで、東京空襲が本格的に開始されるようになった。このあと日本は、あの八月に向かい建国以来もっともおぞましい地獄をみる事になる。
 やめておけばよかった。どう考えてもブログのスケールに合わない。以降リンクと形容でごまかしながら進めていこう。
 おお、こんな便利な年表があったのか。コレを見れば太平洋戦争が一目瞭然。戦いが決着したあとで横から出てきたロシアに北方四島を盗まれたことがよく分かる。まるでコンパで酔い潰れて正体を無くした女の上にのしかかるW学生みたいなもんだ。べつに早稲田でなくてもいいけど。
 すべての戦争は悪であり、そして正義だ。しょせんは「勝てば官軍」。
 戦勝5か国が決裁する世界など片腹痛い。みよ、旧共産国の狡賢さ。
 日本は組織を離脱してもういちど全世界を相手に戦ってやろうか!
 ……ランボーじゃないんだから。

2007-09年国連通常予算分担率・分担金

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jp_un/yosan.html

| | トラックバック (0)

2009年6月23日 (火曜日)

夏休み直前企画・よい子のための戦争講座1「一発撃つあいだに百発撃ってくるじゃねーかっ!」

「来月上旬中にサイパン守備隊は玉砕すべし、もはや希望ある戦争指導は遂行し得ず。残るは一億玉砕に依る敵の戦意放棄に俟つあるのみ」。

 サイパン。東京から二千二百五十キロ。遠くて近い島。毎年シーズンになると「日本脱出組」がコゾって詰めかけるリゾートアイランド。
 昭和十九年六月、大本営はサイパンの放棄を決定した。最終抵抗線と呼ばれたサイパンの陥落で、マリアナ沖海戦、敗退。軍の統制も無効化し、いたるところでゲリラ戦が展開された。掃討作戦には市民も巻き込まれ、玉砕と多くの集団自決が生まれたが、一般の婦女子までが捕虜になるのを恐れて自ら命を絶ったという。
 ドイツ領だったマリアナ諸島は、第一次大戦後の国際連盟統治として日本に委任されていたが、日本は国際連盟を脱退した後も不当な統治を続け、領土として支配していた。この南洋開発の拠点は人口三万人を数えた。当時のサイパン守備隊は陸軍二万八千、海軍一万五千、これに邦人が二万。対して米国攻略部隊は六万人ながら、総合的火力は一対十ほどの大差があった。それは日本のサイパン支援部隊が輸送段階で米国の潜水艦、航空機によって沈められた事による。追い込まれた日本は水際作戦を選択したが、トーチカを構築するための資材運搬は海軍の担当であったため、資材が届いても陸軍には分配されないケースが目立った。さらに要塞砲も海軍軍需部用地に並べただけで、決戦をひかえた島は軍事基地の体を成しておらず、充分な食料があったにも拘わらず城戦への備えがないためこれが分散、いざ敵軍が海岸線を突破すると兵と市民はたちまち飢えに苦しんだ。
 海軍支援艦隊はアウトレンジ戦法で戦いに臨んだ。アウトレンジとは、こちらの航空機は敵艦を攻撃できるが、相手の航空機はこちらの艦船まで飛行できず空母を攻撃されずに済む艦載機の航続距離の違いを利用した戦法のことで、早いはなし、老人の自転車を背後から突き飛ばしカゴから財布を引ったくってスクーターで逃げる中学生のような攻撃のこと。──不謹慎。当時、日本軍の戦闘機は軽量化を最優先に設計されたので、特にこの戦術に優れていた。一方、米戦闘機は安全・防御に関する手厚い装備が重量にはね返り、搭乗者の安全と引き換えに航続距離が犠牲となっていた。通常、五百時間の飛行経験がないと戦闘機は乗りこなせないと言われるが、ミッドウェーで大被害を被って以来、二百時間を超えたばかりで発艦、着艦もままならない速成パイロットがこの戦いにおける日本海軍の主力となっていた。そんな未熟さに米国の新兵器VT信管が追い打ちをかけた。米軍はマリアナ沖海戦での容易な日本機撃墜を「マリアナの七面鳥撃ち」と呼んだが、日本側は戦いが終わる最後まで新兵器の存在を知らなかったという。敵の科学力の前に、連合艦隊は遂にその機能を停止させることになる。
「零戦」とは零式艦上戦闘機のことで、紀元二千六百年(昭和十五年)の最後の数字をとってそう呼ばれた。だから十六年製の機体は一式となる。零戦の最大の特徴は軽量からくる旋回性と航続距離だが、軽量化を極限まで極めた結果、ほとんどの機体にパラシュートは装備されなかった。旋回能力があり、長時間飛行可能な零戦の特殊能力は歴戦の優れたパイロットが操縦すればこそであるが、ミッドウェーの思いがけない大敗戦で真珠湾からの戦功ある熟練パイロットの多くを失ったことが後の戦況に暗い影を落とすことになった。
 余談ながら、戦後、巣鴨プリズンの東条は「ミッドウェーの敗戦は聞かされておらず、知っていたらガダルカナル作戦などやらなかった」と語っている。それが真実かは判らないが、空母四隻を失う大敗北は大本営陸軍部にも知らされず、そこに徹底した情報秘匿があったことは間違いない。当時、首相だった東条は「軍についての情報はまったく入ってこなかった」と語っているが、大本営トップの立場である統帥時代の東条自らが政府をゆするためにそうしたシステムを作ってきたのだ。国家の命運をかけた総力戦の重大懸案を首相と諸大臣がまったく知らされていないなど異常としかいいようがない。そのことは現在にも通ずる日本国の特異な体質として感じられる。
 昭和十八年の「絶対国防圏」に対し、東条首相は自分で作った軍需相に自分で就任、航空機年産五万機をぶち上げ虚勢を張った。「絶対国防圏」とは千島、マリアナ、フィリピン、ビルマを結び、ラインで囲ったものだが、連合軍に圧されて戦線の縮小を余儀なくされた結果がこの「国防圏」となっていた。つまり、そのラインを突破された段階で戦術的に敗北する「日本の決死線」を意味していた。航空機量産計画を大本営の陸、海軍は諸手を挙げて歓迎したものの、その分配を巡って激しい争奪戦が繰り広げられた。結局、陸軍二万七千百二十機、海軍二万五千百三十機で決着するも、これでは生産が五万二千二百五十機となってオーバーしてしまう。それどころか当時の状況は五万機の生産さえおぼつかないのが実情で、昭和十八年の航空機生産は一万七千機、翌年は二万八千機、太平洋戦争全体を通しても六万機程度しか生産されていないのだから逢いたくて北国へは小柳ルミ子昭和51年のヒット曲。──不謹慎。

| | トラックバック (0)

2009年5月 5日 (火曜日)

『作り手と受け手が「直結」』 米アップル「iPhone 3G」

 昨日の北海道新聞朝刊で面白い記事を見つけた。
 文化面「ウエーブ社会風俗」で作家(と紹介されている)の渡辺浩弐氏がiPhoneの販売サイトについて書いている。とても興味深い内容なので、多くの人に読んでもらいたい。全文引用させてもらおう。

『米アップルの携帯端末「iPhone(アイフォーン)3G」では、ゲーム、電子書籍、ビジネスツールといったアプリケーションを、「App Store」という販売サイトからダウンロード購入して使う。購入したものは、アイコンとなって画面上に並ぶ。
 クリエーターは、個人でもアップルと契約すれば「App Store」に作品を載せられる。自作のソフトやマンガや小説をいきなり全世界のiPhoneユーザーに向けて販売することができ、その売上金額の70%を受け取ることができるのだ。一攫千金もありえるだろう。日本にも、個人で開発した楽器のアプリで三千五百万円以上を売り上げた例がある。
 今夏からはシステムがさらに新しくなり、「アプリ内決算」ができるようになる。一度ダウンロードしたアプリのアイコンから、次のバージョンが簡単に買い足せるという仕組みだ。
 気に入った雑誌を毎月買う感覚、と言ったらいいか。ゲームなら一ステージごと、小説なら章ごとに売る、という形態も考えられる。最初だけは無料で、面白ければ次をお金を払って買ってもらう、という方法もいいだろう。
 一本売り切りではなく、そのコンテンツのファンと継続的な関係が築かれることになる。
 つまり携帯の画面に並ぶアイコンがユーザーの「好きなもの」メニューになるわけだ。それは小説とか音楽といった大まかなくくりではなく、作家やミュージシャンごとの細分化された窓口になっていくはずである。
 クリエーターにしてみれば、自分の個人名のアイコンをファンの手元に送り込むイメージになる。新作や新曲ができ上がるたびにファンのアイコンにお知らせを送信して、購買を勧める。
 こういうシステムは、もちろん他の携帯電話やゲーム機器でも採用されていくだろう。今後は、作り手と受け手が、直接結びつけられていくのだ。大手の出版社などは、既存のやり方に固執していると、頭を抱えることになるだろう。(わたなべ・こうじ=作家)』

 文学賞では、時代錯誤のオッサン選考委員たちはすべてお払い箱となるだろう。ザマァみろだ。この連中、政治的ギルドで引き上げてもらいポジションを確立しやがって、大した作品がないクセに夜の六本木に繰り出してはスナック・ホステスの豊満な胸の谷間にツェーマン挟んで「センセーセンセー」と呼ばれてその気になってやがるんだ。自前のブログではプレミアムビールについてウンチクを垂れるわりにコクとキレを両立したプレミアムな短編など一本もありゃしない。ちなみに、プレミアムビールに限りなく近い発泡酒といえばサッポロビールの「麦とホップ」であることは異論を待たないだろう。……で、このヤロウ! 一人にたくさんのホステスつきやがって。ズル賢い顔をしたホステスが、ボトルの消費を促進させて売上を伸ばすためにセンセーの高級ウイスキーをウーロン茶で割って「ごちそうになるわぁん♪」、をしても、「はっはっは」と笑いながら女のケツを触ってる外道がセンセーどもなのだ。
 おい、そこの酌婦! グランファーレスをハイボールにしてゴクゴクのむか? ラフロイグをサントリー烏龍茶で割ったことがあるか?
 このクソどもが、いまにみていろ。畜生め。 

SAPPORO 麦とホップ
http://www.sapporobeer.jp/mugitohop/no_flash.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 2日 (土曜日)

世界で消費される食肉のうち50~60%を占める食材、それは豚肉。ぶーぶー。

 メディアの関心は新型インフルエンザ一色だね。
 数日前まで「豚インフルエンザ」と呼ばれていたのは、ブタ同士で感染するウイルスだった。ブタとは、ヒトやトリのウイルスに容易に感染するらしく、その体内において変異したウイルスがヒトに感染するようになったのが今回の騒動だ。
 一昨日、世界保険機関(WHO)は新型インフルエンザ感染拡大の警戒水準を「5」に引き上げた(下の表みて)。WHOによると「新型インフルエンザ史上、もっとも警戒準備の整ったウイルス」らしい。調べてみると、インフルエンザの流行が科学的に立証されたのは20世紀初頭らしく、それから4度のパンデミック(大流行)があったようだ。

●「スペインかぜ」(A/H1N1亜型)
 1917年から1919年にかけて世界各地で猛威を振るう。感染者6億人、死者2000〜5000万人。日本でも人口の約半数が罹患し、約40万人の犠牲者が出たと推定されている。
●「アジアかぜ」(A/H2N2亜型)
 1957年4月に香港で始まった。東南アジア各地、日本、オーストラリア、さらにアメリカ、ヨーロッパへと急速に広がる。発端は中国南西部と考えられる。死亡者数はスペインかぜの1/10程度。日本では300万人が罹患し、5,700人の死者が出た。肺炎による死亡者の中で黄色ブドウ球菌の二次感染が注目された。
●「香港かぜ」(A/H3N2亜型)
 1968年から翌69年にかけて流行した。6月に香港で爆発的に流行し、8月に台湾、シンガポールなど東南アジアへ、9月に日本、オーストラリア、12月にアメリカでピークを迎えた。ヨーロッパではあまり流行しなかった模様。香港では6週間で50万人が罹患し、全世界で56,000人以上の死者が出た。日本では14万人が罹患、記録によれば2,000人が死亡。
●「ソ連かぜ」(A/H1N1亜型 スペインかぜと同じ型)
 1977年5月に中国北西部から始まり、12月までにシベリア、西部ロシアへ広がり、日本で流行。さらに翌年には、アメリカ、ヨーロッパ、オセアニア、南米にまで拡大した。1950年前後に流行したイタリアかぜと同じウイルスだったので、ある年齢以上は抗体をもっていたため、流行当初は小児と10代の若年層に限られていたが、連続変異によって他の年齢層にも広がりをみせた。

「現在は、Aソ連型、A香港型、およびB型の3種類のウイルスによって複雑な流行の様子が見られます。」か。なるほど。
 スペインかぜだけベラボーな死者だけど、これは、多くの貧困層を抱えた発展途上国では衛生面に問題があり、インフルエンザウイルスに感染して体力が低下したのち合併症を引き起こしたのが原因とされている。インフルエンザウイルスは変異したときが怖いということか。今回、大流行の兆しがあるウイルスは「H1N1亜型」で『未知の凶悪殺人ウイルス』というわけでもなさそうだから、必要以上に神経質となることもなさそう。
 とにかく外出から戻ったら手洗いとうがいが基本だ! ついでに顔も洗うとなお結構。
 ところで、エジプトでは新型インフルエンザ対策として、国内で飼育される三十万頭以上の豚の全処分に乗り出したという。カイロ近郊では、飼育業者が処分に訪れた保健省の車両の進入を防ぐため道路を障害物でふさぐなどの騒ぎとなっているらしい。だが、新型ウイルスを巡っては「フェーズ5」に移行しているのだから、いまさら豚を処分したって仕方がないだろう。バカだな。ここまで、他人のサイトから勝手に引用して勉強してきた僕たちにはチャンチャラおかしいね! イスラム教徒が大半のエジプトでは、豚は「不浄な動物」として敬遠されており、豚の飼育や消費は人口一割弱のキリスト教徒が主に担っているという。北海道新聞の報道では『カイロで豚肉を販売するキリスト教徒のガマル・ハンナさん(47)は「政府は宗教的少数派の立場を気にかけていない」と不満をあらわにしている』『国連食料農業機関(FAO)の担当者は「問題になっているのは人から人へ感染する新型インフルエンザであって、豚から豚へのインフルエンザではない。(エジプト政府の対応は)明らかな誤り」と述べた』

 農林水産省は、繁殖や品種改良用に輸入している生きた豚について、全頭精密検査に切り替えたことを明らかにしている。石破茂農水相も「輸入中止の考えはない」と、検疫を強化しながら輸入継続の方針をコメントしている。
 インフルエンザウイルスは飛沫感染が基本だから、ウイルスに冒された豚を食べたから感染するのではない。「狂牛病」とは違うのだから、毒性部位もない。そのウイルスだって高熱で調理すれば死滅するんだぞ。
 俺には理解しがたいものに心をとらわれて、よけい生きづらくなっている国々。
 無宗教の俺はなんでも食べられる。おかげさまでアレルギーもない。
 丈夫に生んでくれた両親に感謝。

WHO(世界保健機関)の2005年版分類によるパンデミックフェーズ
【フェーズ1 (前パンデミック期)

ヒトから新しい亜型のインフルエンザは検出されていないが、ヒトへ感染する可能性を持つ型のウイルスを動物に検出。
【フェーズ2 (前パンデミック期)
ヒトから新しい亜型のインフルエンザは検出されていないが、動物からヒトへ感染するリスクが高いウイルスが検出。
【フェーズ3 (パンデミックアラート期)
ヒトへの新しい亜型のインフルエンザ感染が確認されているが、ヒトからヒトへの感染は基本的にない。
【フェーズ4 (パンデミックアラート期)
ヒトからヒトへの新しい亜型のインフルエンザ感染が確認されているが、感染集団は小さく限られている。
【フェーズ5 (パンデミックアラート期)
ヒトからヒトへの新しい亜型のインフルエンザ感染が確認され、パンデミック発生のリスクが大きな、より大きな集団発生がみられる。
【フェーズ6 (パンデミック期)
パンデミックが発生し、一般社会で急速に感染が拡大している。
【後パンデミック期
パンデミックが発生する前の状態へ、急速に回復している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧