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2011年2月21日 (月曜日)

平成23年2月12日北海道新聞朝刊《ひと語り もの語り》映画『海炭市叙景』原作 故佐藤泰志の長女・朝海さん「家族が一つになれた」

小説家の父 今は誇り

 酒に溺れ、家族に暴力を振るう。12歳の時に死別した父の記憶はずっと封印してきた。父の名は佐藤泰志(1949〜90年)。芥川賞候補に5度挙がりながら自殺した函館出身の小説家だ。20年の歳月を経て、家族のきずなを取り戻す時が来た。遺作「海炭市叙景」の映画化や絶版作品の相次ぐ復刊をきっかけに、娘の木暮朝海《あさみ》さん(32)=東京都在住=は亡父の存在を強く感じている。「お父さんが生き返ったみたいだ」(函館報道部 酒井聡平)

ガラス細工の心

 朝海さんは3人きょうだいの長女。東京都国分寺市で過ごした子供のころ、家は貧しかった。6畳、4畳半の2部屋に家族5人で暮らした。
 平屋の2軒長屋に隣接した狭いプレハブ小屋が父の仕事場だった。父は体を丸めて居間の窓から小屋に入り、原稿に向かった。執筆中は神経をとがらせ、テレビをつけただけでも怒鳴られた。
 作家の心はガラス細工のようにもろかった。新鋭作家として注目され、芥川賞にノミネートされたが、落選し続けた。自律神経失調症に悩み、酒を飲むと母や弟を殴った。
 朝海さんが学校から帰宅し最初に母に言う言葉は「お父さんはどう」。母が表情を曇らせると、寝室に逃げた。ふすま越しに聞こえる怒声に息をひそめた。
 父の自殺前夜。酒に酔った父と母の口論が始まった。翌朝、父の姿はなく母が泣いていた。父はもう帰らないと直感した。「父が死ぬか家族が死ぬか。そう思っていたから父の死でほっとした」。死後ずっと家族の間で父の話はタブーだった。
 「父親の職業を聞かれたら小説家と答えなさい」。子供のころ、父から言い聞かされた。でも、私の父は小説家です、と胸を張って言えたことは一度もない。父の作品も読んだことはなかった。

磨き抜いた言葉

 転機は4年前。小説の読み巧者たちの熱い支持で佐藤の再評価が進んだ。代表作を集めた作品集が東京の出版社クレインから出版された。記憶の底に押し込んでいた父が、本という形で現れた。
 作品を初めて読んでみた。青春のまばゆい群像、地方都市の人々の暮らし…。どの作品も一字一句磨き抜いた言葉で描かれていた。「父は人生をかけ、魂を削って書いていた。小説が人生のすべてだったんだ」
 「海炭市—」の映画化や復刊は、父と家族のきずなを再確認するきっかけになった。昨年11月下旬、静岡市で行われた弟の結婚式。弟は映画のチラシと原作本を式場に持参し、「父の本です。良ければ読んでください」と参列者に配った。「せっかくだし、宣伝しようと思ってさ」。弟の言葉を聞き、思いが込み上げた。「家族がやっと一つになれた」
 主婦の朝海さんは今振り返ると、「父が生きていれば」と思ったことが一度だけあった。大学卒業後の進路に悩んでいた22歳のときだ。作品の中にその答えがある気がして古書店を回った。だが、本は見つからず、悲しさだけが残った。
 あれから10年。「海炭市—」に続き、「移動動物園」など4作品が4月以降、小学館などから相次いで復刊される。父の本が日本中の書店に並ぶ。そのことがうれしくてならない。「本屋に行けばお父さんと出会える。本が増えてくれたら、会える機会も増えそう」。父とともに歩む人生が、これから始まる。

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【写真】上:2歳の誕生日を迎えた朝海さんを笑顔でみつめる佐藤泰志=1980年。下:生前の写真を前に「再び父に命を吹き込んでくれた人たちに感謝しています」と語る木暮朝海さん

佐藤泰志/ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/佐藤泰志
佐藤泰志/Amazon.co.jp
http://amzn.to/gWYefi
映画「海炭市叙景」公式サイト
http://www.kaitanshi.com/
Doshin web どうしんウェブ
http://www.hokkaido-np.co.jp/

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